人生で初めて救急車に乗りました。
夫から歩けなくなった、というLINEが来た日は金曜日。
土曜の夜から二人で香港に発つ予定でした。
その土曜日の朝、歩けないのはやはりただごとではないとの判断で、病院へ行くことにしました。
ただ、歩けない、車もない、動かしていいのかもわからない。
そんな状況のもと、救急車を呼ぶことにしました。
頭の中は夫の身体が心配なことと、香港どうしたらいいんだろうと、ただただ不安でした。
ここからはいくつか、ふくねこの手記をそのまま転記します。
この記録は、病気の経過を記録することで治療のヒントが見えてくるかもしれないと思い、つけ始めた記録です。
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9月19日
救急車で病院に行った。
初めて乗った。
内科→整形で診てもらったけど原因不明。
XPもn.p.(問題なしの意)
大学病院に紹介になってタクシーで行った。
救急めっちゃ待った。
MRI撮ったけど不明。n.p.
↑誤診でしょ・・・(←記載のまま)
香港には一人で行くことになった。
迷ったけど、やっぱりあきらめきれなかった。ごめん。
一人海外で不安だけど何とかなるか。
LINEとWi-Fiあってよかった。
連絡取れなかったら心配すぎる。
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香港行きはぎりぎりまで迷いました。
自分が行きたいかどうかで決めて、後悔はして欲しくない、と言ってくれたけど、本当は行って欲しくないと思っているのかもしれない。
この状態で置いて行っていいのか。
ただもうキャンセルはできないし、迷いに迷いました。
走って帰れば何とか空港に間に合うかな、という時間になり、決断。
批判の声もあるかもしれませんが、私たちの「人生は一度きり、お互いのやりたいことを優先する」というスタイルから、行かせてもらいました。
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9月20日-22日
香港。ホテルの一人で泊まることになった事情説明とか英語で。
やれば何とかなるもんだ。
SKY100からの夜景きれいだった。
カズドーさんと今度は夜景見たい。ヴィクトリアパーク。
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その後の手記は仕事がかなり忙しかったのもあり、まとめ書きで記録しています。
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帰ってから姿を見るのが辛かった。しんどそう。
カロナールのみ処方って・・・
何度か病院に行って分からない状態が続いて、可能性のある病名が提示された。
強直性脊椎炎か膠原病。
↑調べてかなりショックだった。
この日から一週間くらい毎晩泣いた。
聞いた日の翌日は会社でも勝手に涙が出てやばかった。
なんでか。悲しいんじゃなくて悔しいんだなきっと。
何で、他にもっと病気になってもいい人いるでしょと。
↑言い方悪いけどそう思う。
神様に都合よくお願いしてもやっぱり無理で、だんだんこんな課題を与えた神様に何でって気持ちが強くなってきた。
ただただ治ってほしい。
せめて痛みがなくなって、歩けるようになってほしい。
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「強直性脊椎炎」
インターネットでその疾患について調べて 、ショックを受けました。
これは自己免疫疾患で、膠原病の一種です。
関節炎から始まり、いずれは脊椎の関節が竹の節のように固まってしまう病気で、難病指定されています。
この病気は胃腸炎がきっかけで発症する場合があること、また、HLA(ヒト白血球抗原)のある型を持っていることが言われています。
一応、医学・生命科学系の出身で薬関係の仕事もしてきているので、その辺の理解はすぐにできました。
それだけに、今後への不安も大きかったです。
ただちょっと病態が完全には一致しないな、と個人的には思っていました。
そこに希望を持ちました。
救急車で病院に行って以来、ずっと家の中でも松葉杖生活でした。
今思い出しても、あの時期から今の状態まで持ち直して、本当によかったと思います。
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10月3日
友達が井の頭公園でお祝いしてくれた。
Eちゃんの手料理すごかった!
パンもすごくおいしくて、お腹いっぱい過ぎるくらい食べた。
病状は変わらず。
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mixiを通じて知り合ったお友達が、井の頭公園で結婚のお祝いをしてくれました。
吉祥寺の美味しいパン屋さんでパンを買ってきてくれて、座るのが大変な夫のために椅子も用意してくれて。
手作りケーキ(めちゃくちゃ美味しかった!)まで用意してくれて、沈んでいた気持ちが明るくなりました。
ただただ感謝。
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10月15日
病院に一緒に行った。
初めて今の会社休んだ。行ってよかったと思う。
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正式に診断名を聞く日、今の会社に入社してから初めてお休みをいただきました。
まだ検査中だったけど、いろいろ説明を聞きました。
痛みが強いため、ロキソニンからトラムセット(麻薬に近い鎮痛剤)に変わりました。
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吉祥寺猫まつりにNさんと行った。
リンゴケーキ作った。おいしいと言ってもらえたのがうれしい。
ケーキ系はカフェでいろいろ食べてそうで何か作るの気が引ける。
歌広場まで松葉杖で行けた。
しんどそうだった。
何で痛い(炎症)の続くんだろう。
“夏は暑くて当たり前、冬は寒くて当たり前。ならこの薬(トラムセット)を飲んで吐き気がするのも当然のこと”と突然言い出した。
確かにそうだ。
NegativeなんだかPositiveなんだかわからない。笑
膝、あたためてだめなら冷やしてみた。
何が正解か分からない。何でもいいから炎症が消えてほしい。
ツナマヨ断ちしてお願いしたら神様は叶えてくれるのだろうか。
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夫は膝に炎症が広がり、左膝が腫れていました。
炎症で関節破壊が進んで変形してしまうのでは、という不安を抱えながら毎日を過ごしていました。
注射でたまった水(滑膜の中の関節液)を抜いてもらったことも。
20mLのシリンジ2本分くらい取れました。
痛いはずだ。
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10月20日
残業しんどい。
腫れ少しひいた?(左ひざ)
右足の裏(ひざ)が痛いみたい・・・
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10月21日
残業しんどい。直帰したかった。
ごはん作れなくて申し訳ない。
言わないけど、不便はしてると思う。
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10月22日
やっぱり強直性脊椎炎が濃厚らしい。
ライター病ならまだよかったのになと思ってたけど、しょうがない。
考えてもしょうがないので毎日が楽しくなるようにしたい。何かあるかな。
クイズ(なぞなぞ)の書き置きとか。チープな・・・
でもやっぱりどこかで違うものだったらいいなと思ってた。
重症化しないことを祈るのみ。
40才くらいまでで落ち着くという説を信じる。
南米に行くことを原動力にする。
何があってもへこたれない(仕事以外)。
↑でも仕事量調整してもらって家の時間ふやしたい・・・
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強直性脊椎炎と似た症状が出る疾患に、「ライター病(反応性関節炎)」という疾患があります。
こちらも膠原病の一種です。
ライター病の場合、多くは3~6ヶ月で治るとされていました。
また、自己免疫の破綻で起こる関節炎に対してはバイオ(生物学的製剤)が有効とされています。
生物学的製剤は関節リウマチに対しても使用されています。
めちゃ高いんですけどね・・・。
あと、「へこたれない」とか書いておきながら「仕事以外」って書いてるところが既にへたれてるな(笑)。
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10月23日
松葉杖使わず夜歩いてる姿みて感動した。
ずっと杖だったから、ない姿が久々に見て少しほっとした。
でも歩けるのは薬で抑えてるからで、きっとこの先も痛み止めはのみ続けなきゃいけないのかも。
みんなのコメントがうれしくもあり辛くもあり。
「支えてくれる人」になれたらいい。
あとやっぱり がんばって って言葉は難しい。
残業ばっかりだーー
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10月24日
眼科で眼底のMRI撮った。
何もありませんように・・・
私は右目が乳頭結膜炎になった。
眼科 血管が切れてたとか・・・
心配だけど程度にもよるかな。経過観察。
病院の6Fのオムハヤシ好き。高いけど。
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10月27日
深夜2:30頃 動悸と吐き気 初めて起こしに来た。
救急車要請。
(119初めてかけた)
副作用とは思うけど、吐き気は脳血管系の可能性もあるからこわい。
吐き気止めの点滴して帰宅。寝てない。
救急では吐き気の原因分からず。ストレスだろうなあ・・・
仕事中眠かったけど忙しくてそれどころじゃなかった。
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夫が動悸と吐き気が止まらないとのことで、深夜に救急車で病院へ行きました。
点滴で薬を入れて様子見。
ひとまず落ち着いたため、タクシーで家に戻りました。
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10月29日
膠原病内科。
吐き気はストレスからっぽい。
朝晩2回+ムコスタ追加。
薬が減るのはいいと思うけど痛み大丈夫なのかな。
病状を検討。反応性関節炎かも?
でも痛いことには変わらない。
安静がいいのかなー
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30日には結婚式二次会の話し合いを、吉祥寺のお店でしました。
夫のお友達がメインだったのですが、もうみんないい人たちばかりで、いい人の周りにはいい人が集まるんだなあと思いました。
二次会の話し合い、と書きましたが、実は結婚式の日取りと式場を既に8月に決めていました。
式と披露宴は代々木駅近くの会場に決めており、担当の方と打ち合わせも数回していました。
夫が病気を発症してからの打ち合わせはふくねこ一人で行っていて、担当の方に事情を説明したときはこらえていたものの涙してしまいました。
「新郎に無理のないように、内容を考えていきましょう。こちらでもできる限りのサポートをしていきます」
と担当のTさんに言ってもらえたのがとてもありがたかったです。
問題は衣装合わせ。
やはり一度は新郎にも来てもらって、最終の打ち合わせと、試着をして欲しいと。
サイズと希望のカラーから、数点候補となりそうな衣装の写真を撮って送り、試着も含め、新郎が同席する打ち合わせは一日で済ませられるよう調整してもらいました。
そして、不安とドタバタの式の準備が本格化していきました。
⑧に続く