周期があるような気がするので鬱ではないと思います。
つい先日もPMSの影響かな、というようなプチトラブルがありました。
タイトルはそのときに感じたこと。
PMSや鬱のあるなしにかかわらず、人の心は水ガメみたいだなあと思ったのでそのことを書き残したいと思います。
ひとのこころは水ガメ
ひとはたぶんみんな、自分の心の負荷をためておく入れ物を持っている気がする。
そこにいろいろな「がまん」とか「もやもや」とか「しぶしぶ」をため込んでいくんだと思う。
入れ物の大きさは人それぞれ。
もちろんたまるばかりじゃなく、「やさしさ」とか「たのしい」とか「うれしい」と感じる心で温めて蒸発させることもできる。
そうすれば水ガメは軽くなる。
だけどうまく蒸発させていかないと、いつか必ずいっぱいになる。
あれ、重いな。
と思ったときにはもう動けない。
周りの人たちに近付きたくても重みで動けなくて近付けない。
「ひとのやさしさ」に触れて水ガメを軽くすることができない。
だからどうしようもなくて立ちすくんでしまう。
水ガメはどんどん重くなる。
そしていつかひび割れる。
きっかけはほんのささいなこと。
カメが割れて流れ出したマイナスの気持ちが詰まった水は、自分をも押し流す力を持ってる。
立っていられない。
もういいやって思う。
浮き上がるための力がない。
自分が嫌で嫌で嫌で仕方なくなる。
なんでこんなことになったんだろう。
なにしてるんだろう。
じぶんがなにをしたいかわからない。
ただただ苦しい。
けど、その水に踏み込んで引き上げてくれるひとが居たら。
引っ張り上げられ、戸惑いながらもヨロヨロと立ち上がる。
支えられて立ってみたら、自分を苦しめていた水は案外浅いものだった。
むせながらも息が戻った。
からだにまとわりついたよくない水はまだ乾かないけれど、また歩くことができる。
心の水ガメはひとりひとつだから誰かに持ってもらうことはできない。
何より持って欲しいとは思わない。
でもまた割れてしまうかもしれない。
そのときはまた助けてもらえるかな。
そんなことを考えながら、また新しい水ガメを背負って生きていきます。
ごめんね。ありがとう。
水ガメ、鉄製だったら割れないかな。
…錆びそうだな。
てか重そうだな。