原爆ドームへ
広島に来たら訪れておきたい場所、原爆ドーム。
原爆投下の爆心地に近いにも関わらずその姿を残しており、平和記念碑として世界遺産にも登録された場所です。
今回は宮島から広電(広島電鉄)で乗り換えなしで来ました。分かりやすい。
広島駅から行く場合、広電でもバスでも来れます。
バスの方が基準タイムだと5~6分早いのですが、広電の方が分かりやすいし安いので広電が行きやすいのではないかと思います。
※2系統、6系統だと乗り換えなしで行けます。
祈る前に写真を撮ってしまった自分を恥じる
原爆ドーム前の駅から横断歩道を渡り、平和記念公園の敷地に入るとすぐに慰霊碑が目に入ります。
ついすぐにカメラを向けてしまいましたが、その後深々とお祈りをされていたおじいさまを見てハッとしました。そうですよね…。
この付近に「広島県地方木材統制株式会社」という木材を扱う会社があり、ここで殉職した方々の慰霊碑として、「広島県地方木材統制株式会社慰霊碑」が有志により建てられたそうです。
後から知ったのですが、公園の敷地内にはこういった慰霊碑がたくさんあります。
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
中にも人が居たんだろうなあ…
ここへ来るのは2回目です。4、5年前、大学時代の先輩の結婚式で広島に来た際、仲間と共に訪れました。
もともとは物産品を扱ったり、博物館や美術館のような役割もしていたこの建物。チェコの建築家がデザインしたというのも今回初めて知りました。
だからこんなモダンな建物なんですね。
原爆ドームを見ると、上空で爆発したんだなあというのが伝わってきます。
あと初めて見たときもそうですが、見ていると何だかそわそわしてくるのはなぜでしょう・・・。
きれいだけど悲しく感じる
原爆死没者慰霊碑
公園に灯る平和の灯(ともしび)
原爆死没者慰霊碑にはたくさんのお花が供えられていました。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。
もうこれ以上の言葉は浮かびません。
平和の灯
原爆ドーム側から見た平和の灯
この慰霊碑と灯の間には池が作られています。
被爆した犠牲者の方々が水を求めていたことから、このような慰霊碑が建てられたそうです。
この火も前回は何となしに眺めていたのですが、全国の12の宗派から届けられた「宗教の火」と、各地の工業地帯から届けられた「産業の火」を合わせて灯された火というのを知り、人々の想いが込められた火なのだと、改めて思いました。
しかも1964年8月1日に灯されてから一度も消えていないというのだから、すごいものです。
「核兵器が地上から姿を消すまで燃やし続けよう」というこの火。残念ながら今はまだ消せる日は近くはなさそうです。
動員学徒慰霊塔
小学生の子供たちも来ていました
この動員学徒慰霊塔は、ざっくり言うと労働力として駆り出されて犠牲となった学生のために建てられたものです。
戦禍に倒れた学生、被爆して亡くなった学生約1万人を慰霊しています。
写真を撮っていたら修学旅行か社会科見学できているらしき小学生の子らがどいてくれました。お気づかいありがとうございます。
原爆の子の像
たくさんの折り鶴
小学校の教科書でも読んだ、2歳で被爆し12歳で白血病を発症し亡くなった佐々木偵子さんがきっかけとなった像です。
病気が治ると信じて折り続けた折り鶴。生きたかったんだと思います。
細かいところまで見ると、他にも韓国の犠牲者のための慰霊碑など、平和記念公園にはたくさんの慰霊碑や被爆の遺構があります。
ちょっと巻きで回りすぎちゃったな。
広島平和記念資料館
前回来た時と雰囲気が違うなあと思ったら、本館をリニューアル工事中とのことでした(帰ってきてから知った)。
パネルや画像で紹介するものが多くなっていたように思います。
ひとつの爆弾が引き起こした無差別破壊。
当時の証言資料を読むと涙がこみ上げてくるものばかりです。
原爆は広島、長崎ともに投下されましたが、原爆ドームが戦災遺構として残っているためか、広島の方がよく取り上げられる気がします。
原爆の威力としては長崎の方が大きかったんですよね確か。山に囲まれた地形が幸いして被害の範囲が狭まったとか。
そんな原爆投下計画のことも展示資料の中にありました。
たまたまこの日も空に雲一つない青空でした
事件は日々それなりにありますが、世界的に見たら日本は平和だと思います。
街中を歩くの銃弾に怯えることもないし、空から砲弾が飛んでくることも(今のところ)ないです。
日々大好きな猫をふらふらと探し回れます。
そんな国に生まれたことを感謝しています。
犠牲となった方々をがっかりさせないためにも、No more Hiroshima, no more Nagasakiを訴え続けて行こうと思いました。